友だちの友だち

04.じんせいのこと
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自分で言うのもなんだけど、たぶん友だちが多い。ほとんどがTwitter経由で知り合った人たちだけど、いまでも親しくしてくれる。ありがとうございます。

最近はあまりないけど、以前はよく飲み会を開いたり、イベントを主催したりしていた。友だちに声をかけると、みんなけっこう来てくれた。うれしい。

飲み会やイベントをやると、いろんな人が来てくれた。みんな私の友だちなんだけど、私の友だち同士は友だちではない、たんなる他人であることが多い。

他人なんだけど、私の友だち同士なので「会うのははじめてだけど、Twitterでは見たことがある」「会うのははじめてだけど、共通のフォロワーが多い」みたいな距離感の人が多く、それぞれすぐ親しくなっていく。

「友だちの友だち」って、ワリと仲良くなりやすいのかもしれない。共通の知人を介して知り合うわけだし。ウェブでの人間関係をネットワークとしてとらえるなら、そもそもおなじクラスターに属していることも多い。ふだんの投稿を見ていれば、ある程度は素性も知れる。

ただ、ウェブでの人間関係と、リアルでの人間関係とは、まったく別物だと思う。いくらTwitterで親しくしているからって、リアルで親しいわけではない。逆に、Twitterではあまりつながっていなくても、リアルで親しくなれることもある。

Twitterで親しくしている、あるいはひんぱんに目にしていると、ついついウェブ上でのキャラクターを現実に持ち込んでしまいがちである。Twitterのノリでコミュニケーションをとりがちである。コレは大間違いだと思う。

Twitterは、その人の一面、あるいは表層でしかない。なんでもかんでもTwitterに書き込んでいるように見える人でも、実はその人の一面しか見せていないし、見えていない。猫をかぶっている人も多い。

「友だちの友だち」の話に戻る。飲み会やイベントを開くと、私のフォロワーさんがたくさん来てくれた。私の友だちの友だち同士で、私を介して人間関係が生まれた。これはとてもステキなことだ。

ただ、人間関係なので、やはり合う・合わないがある。トラブルも起こる。そういうときの責任の一端は、私にもある。トラブルのもとになる人間関係を作ったのは私なので。

できるだけトラブルは起こしてほしくないなァと思う。だいたいみんないい大人なんだし、押すとこは押す、引くとこは引くで付き合っていってほしいと思う。

ただ、「友だちの友だち」という微妙な距離感をどうとらえるか、ココにけっこう個人差があるなァとも思い、むずかしい気持ちになっている。

こういう私も、以前は「友だちの友だちは友だち」だと思っていた。そもそも私は人間関係をグッと詰めるタイプなので、「一度あったら友だちで、毎日会ったら兄弟さ」みたいなノリだった。いま考えればうっとうしい。

うっとうしいんだけど、こういう考えの人はけっこう多い気がする。大人数での飲み会とかに行くと、「おなじ場所にいる」という接点しかないのに、やたら親しくしてくる人とかいる。うっとうしい。

私の友だちのなかでも「友だちの友だちは友だち」という考えの人が散見される。「私の友だち」という共通点しかないのに、いざ会うと、さも付き合いの長い友だち同士のようにふるまう人がいる。

それはべつにいい。人と親しくすること自体は、悪いことじゃない。むしろいいことだ。ただ、そういう人は、往々にして人間関係の距離感をはき違えている。

たとえば、親しくもないのにセンシティブな話題にふれたり、親しくもないのに素性を根掘り葉掘り聞いたり、親しくもないのに生活に干渉したり、そういうことを平気でする。

一度や二度しか会ったことがない人から、生活の話を詮索されたり、生活のことで説教をされたり、生活について「ああしろ」「こうしろ」と言われたりしたらどうだろう。すくなくとも私は、非常に気分が悪くなる。

どうしてそういうことをしてしまうのか。Twitterをやっている、ふだんからその人の投稿を見ていると、ついその人のすべてを知った気になってしまう。大して会ったこともないのに、なんとなく親しみを覚えてしまう。

それが、友だちの友だちだったり、共通の知人がたくさんいたり、つまりおなじクラスターに属している人だと、たとえ会ったことはなくても、「友だちの友だち」として、つい自分にとっても友だちだと錯覚してしまうのかもしれない。

ただ、コレは大間違いだと思う。たとえTwitterでつながっていて、共通のフォロワーがたくさんいて、おなじクラスターに属していて、日ごろからツイートを見ていても、それは友だちでもなんでもない。

そもそも「友だち」とはなんぞや、という話にはなる。「友だち」の定義は多義的でむずかしいけど、すくなくとも「友だちの友だち」は友だちではなく、赤の他人だと思う。

たとえば、AさんはよくBさんの投稿を目にしていて、Bさんに対して親しみを持っていたとする。ただ、BさんがAさんに対しておなじように親しみを持っているかどうかは、まったく別の話。ウェブの人間関係は、ごくごく非対称だ。

以前は友だちと友だちとを気安く引き合わせていたけど、「そもそも彼らは他人同士だよな」「お互い親しいわけじゃないしな」ということに気づいてから、安易に人と人とをつなげることはやめた。

人と人だから、合う・合わないがある。私を介して、私が仲立ちして会わせてしまった以上、なにかあったときの責任は、私にある。そして、私は責任を負いたくない。

コレはTwitterのいいところでもあり、悪いところでもあるんだけど、会ったことのない人でも、投稿を見ているうちに親近感がわいてくる。たとえフォローしていなくても、共通の知人や友人を介してつながっていたりすると、なんとなく知ってる人のような感覚になってくる。フォローしていればなおさら。単純接触効果かな。

ただ、ソレは本人がそう認識しているだけの話であって、相手がどう認識しているかはまた別の話である。あなたが友だちだと思っていたとしても、相手はそんなことまったく思っていない。そういうこともある。

友だちの友だちは他人でしかない。これは、インターネットにおいてもそうだし、リアルにおいてもそう。フォロワーのフォロワーは他人。オフ会とかでたまたま接点を持ったとしても、そこがスタート、ゼロの状態ということを忘れないようにしたい。

きっかけはウェブだったかもしれないけど、最終的にはリアルの人間関係に落ち着くわけで。リアルの人間関係には、リアルの人間関係の作法がある。リアルの人間は、ウェブの人間のように単純なキャラクターではない。

リアルの人間関係に、ウェブの作法やキャラクターを持ち込んではいけない。

Twitterなどのウェブでたくさんの人たちとリンクしていると、ついみんなと知人や友人になったような気になってしまう。ただ、「友だちの友だちは他人」ということを忘れないようにしたい。

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