漂う(双極性障害の話)

03.精神障害のこと
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双極性障害(躁うつ病)の診断を受けてから、今年で11年目。きょうの明け方くらいから、ドボドボと雨が降っている。はじめて双極性障害の診断を受けたときも、雨がしつこく続く時期だった。だからなんだという話ですが……。

双極性障害とは、気分のアップダウンが病的に激しくなる障害で、躁状態(気分がアッパーになった状態)と、うつ状態(気分がダウナーになった状態)とを、周期的に繰り返す。

躁状態になると、攻撃的になったり、過活動になったり、浪費や過食を繰り返したり、無計画で衝動的な行動にはしったりして、社会生活に甚大なダメージを負う。

うつ状態になると、気分がふさいだり、食事や入浴もままならなくなったり、希死念慮(「死にたい」という観念)に襲われたり、あらゆる意欲が減退したりして、マトモな社会生活を送ることが困難になる。

おなじ双極性障害の当事者でも、症状には大きな個人差があります。興味がある方は各位で調べてください。上の症状はあくまで「私の場合は」という話になるけど、まぁ困る。

罹患してから11年間、治療はマジメに続けている。病院へ通って、薬を飲むのが基本。いまは主にリーマス(炭酸リチウム)とラミクタール(ラモトラギン)という薬を飲んでいる。どういう薬なのかはくわしく知らないけど、なんとなく効いてる気はする。

11年前、双極性障害の治療をはじめてすぐのころは、この障害についてまったく無知だった。それまではメンタルヘルスに興味ゼロだったので、双極性障害という名前すら知らなかった。

また、医師から「あなたは双極性障害ですよ」という診断を受けたあと、それをどう受け入れていいのかわからなかった。「はい。それで、なに?」みたいな感じ。なんらかの原因で気分が乱れることがあるけど、薬を飲めば正常な状態に戻る。その程度の認識だった。

たしかに、薬を飲んでさえいれば、ある程度は落ち着いた気分でいられる。ただ、きちんと薬を飲んでいても、気分の波に抗えないときが何度もあった。そのたびに、その場その場で薬を変えたり、オロオロしたりして、なんとか正常を保とうとしていた。

正常ではない状態、躁状態やうつ状態になったら、その都度なんとかしてまた正常に戻ろうとする。ただ、一度状態が悪化してしまうと、それを正すのはとても難しい。躁状態になり、わずかな小康状態を経て、こんどはうつ状態になり。双極性障害の前になすすべはなく、そんなことを繰り返す生活。

そんなわけで、うまくいかない時期が長く続いた。3~4年に一回くらい、津波のように大きな気分の波におそわれて、なすすべもなく波に飲まれる。そのたびに職や資産を失ったり、信用をなくしたり、借金ができたりした。当然だけど、生活も人生もメチャクチャになって、将来のことなんて考えることはできなかった。

2年前にも大きな波がきて、仕事を辞めざるをえなくなり、あとひきこもりニートになった。それでも生きていかなければならないので、なんとかしようと思った。

まずは、双極性障害について知ることからはじめた。双極性障害とは長いつきあいだけど、私はコイツのことをよく知らない。さんざん私を困らせて苦しめてきたコイツがどういうヤツなのか、きちんと知る必要があると思った。

そうしたら、いろんなことがわかってきた。まず、双極性障害は、その名のとおり「障害」なので、寛解(症状が治まること)はしても完治(症状が消えること)はしない。マジメに薬を飲んで、規則正しい生活を送り、きょうの気分は落ち着いていても、あしたの気分がどうなるかはわからないということ。常に再発・悪化のリスクにさらされているということ。

また、気分が変調する障害なので、気分の波に合わせた対処をしなければならないということ。躁状態になったら、躁状態を抑える薬を飲まなければならない。うつ状態になったら、うつ状態を改善する薬を飲まなければならない。結局は、いままでどおり対症療法でやっていくしかない。

率直に言うと、とても暗い気持ちになった。常に症状が悪化する脅威にさらされていて、しかも症状が悪化してからでないと対処の仕方がわからない。症状が悪化した場合、さまざまなものを失うことは、身をもって学習してきた。これから先も、積み上げては失い、積み上げては失い、賽の河原の石積みのような人生を送らなければならないのだろうか。

なんとかならないか。そんなことを考えながら、部屋にひきこもってTwitterをしていたら、松浦さんという双極性障害の当事者の方を知った。松浦さんは、双極性障害の当事者として、双極性障害についての情報発信を行っている方。とくに「双極性障害の当事者が働くこと」について、さまざまな活動をされている方です。

「私とおなじ双極性障害なのに、私と違ってひきこもってなくて、立派な方もいるもんだなあ」と思いながら、松浦さんのツイートを読んでいたら、ある日「完璧な0、完璧にフラットな気分を目指すのではなく、プラス1からマイナス1くらいの範囲に気分を収めるのがいい」みたいなことが書いてあった。それを読んでハッとした。

それまでの私は、自分の気分の変調について、正常/異常の二元論でとらえていた。気分が落ち着いているときは正常、気分が上ぶれ/下ぶれしているときは異常。正常を保つことに固執していたし、異常に対しては無力というか、あきらめみたいなものを感じていた。

松浦さんのツイートを見て、ふと「正常/異常とはなんだろう?」という疑問が頭に浮かんだ。それまでは「正常でいなければならない!」「気分の波などあってはならない!」「異常であってはならない!」「少しでも気分が変調したら終わりだ!」と思っていたけど、そうでもないんじゃないか?

ずっと「正常/異常」という0/1の思考にとらわれていたけど、プラス1からマイナス1の幅を持った思考でもいいのかもしれない。そもそも正常とは、異常とはなんなのか、自分でもよくわかっていない、というか多分わからないということに、はじめて気づいた。

同時期にカウンセリングを受け始めた。カウンセラーさんから、日ごとの気分をモニタリングすることをすすめられた。毎日の気分を、+5から-5の幅で評価していく。気分のモニタリングを始めたら、だんだん自分の気分の変調を客観視できるようになってきた。

きょうはマイナス3、ベッドから起き上がるのがつらい。きょうはプラス2、おしゃべりになっている。きょうはマイナス1、なんとか買いものに行けた。きょうは0、家事を終わらせることができた。こうして毎日の気分を記録しているうちに、気分が変調するタイミングが少しずつわかってきた。

0/1、正常と異常のどちらかしかないと思っていた私の気分だけど、じつは曖昧な上下の幅のあいだを、日々ゆらゆらと漂っているんじゃないか。0/1のようにハッキリとした境目はなく、定まらない範囲のなかで、上がったり下がったりしている。この気分の変調を、連続的にとらえることで、躁/うつの傾向を多少だけど察知できるようになってきた。

もちろん、なにもかもがわかったわけではない。あいかわらず対症療法的であることには変わらない。だけど、マイナスの日が続いているときはうつ状態の傾向、プラスの日が続いているときは躁状態の傾向、くらいのことは、バカな私にも予想がつく。

プラスとマイナスのあいだをフラフラと漂う気分、その傾向を見れば、ある程度未然に対処することができる。気分がすこし沈んでいる、うつ状態っぽいときは、もろもろあきらめて休めばいい。気分がすこし浮ついている、躁状態っぽいときは、意識して自制的になるべきだ。もちろん、完璧にうまくいくことはない。対処しきれないことのほうが多いけど、いまの自分のステータスをしっかり自覚することで、症状に振り回されることは減った。

フラフラと漂う気分の行き先に注意を向ける。気分が浮き沈みしそうなときは、先回りでケアをする。いままでは無秩序に漂っていた気分を、可能な範囲でコントロールするように意識したら、だんだんと気分の波が小さくなってきた。

あいかわらず、完全にフラットな状態・ゼロの状態・以前でいう正常とはほど遠い。毎日のように気分が浮き沈みするし、毎日しょんぼりしたりソワソワしたりしている。でも、以前と比べると、気分の振れ幅は間違いなく小さくなっている。以前の変動具合がBTCの相場くらいだとしたら、いまは日経平均先物相場くらいには落ち着いている。

私の気分、私の手を離れて漂っているように感じるので、なかなか思いどおりにはなってくれない。ただ「そばにいるな」「ちょっと遠くへ行き過ぎてるな」「あーどっか行っちゃいそうだ」みたいな感覚をつかめるようになってきた。

この半年くらい、私の気分は、プラス1からマイナス1くらいのあいだをずっと漂っているような。気分がプラスになったりマイナスになったりするの、やっぱりしんどいし、生活にいろいろと支障も出る。ただ、以前のようにそのままどこかへ飛ばされることはないし、ある程度の軌道修正はできるということもわかった。

正常という道をまっすぐ歩くことをやめて、プラス1からマイナス1のあいだをフラフラと歩くことにした。そうしたら、自分の歩く道の幅が、だいぶん広くなった気がする。

正常という道は、多分とても狭い。正常という細い道の両端は、異常という崖に挟まれている。足もとがフラついて、転んだりして足を踏み外すと、崖に落下して即死。そんなイメージだった。気分が変調するリスクを抱えたまま、正常という道をまっすぐに歩き続けるのは、つらい。何度も何度も崖に落ちて、そのたびに大怪我をしてきた。

正常と異常の0/1ではなく、プラスとマイナスのグラデーションで気分の変化を観察してみた。そうしたら、フラフラ漂う私の気分、それにつられてフラフラ歩いている自分の姿が見えてきた。思った以上にフラフラしていた。フラフラ歩いているので、よく転ぶし、よく道を踏み外す。

ただ、以前とは違って、いまは正常にこだわらない。多少のふらつきを許容できている。フラフラ歩いていて転んでしまった・道を踏み外してしまったとしても、そのまま崖に落っこちるわけではない。倒れた先は崖ではなく、荒地や沼地や草むらで、膝をすりむくかもしれない、足をくじくかもしれないけど、崖に落ちて死にはしない。足もとは悪いけど、なんとか立ちあがることはできるし、また歩くこともできる。転んで道を踏み外しても、また立って歩けばいい。気楽なのだ。

転んで道を踏み外していることには変わりないので、あまり好ましい状況ではない。ただ、以前のように即崖・即落下・即死というわけではない(と思う……)、多少の余裕はあると思えるようになった。

「フラフラ歩いても大丈夫なんだ」そう思えるようになって、気が楽になったおかげか、運よく就職することもできた。毎日つらい、朝起きるのがつらいし、通勤するのがつらい。仕事もつらいし、帰宅してからお風呂に入るのもつらい。あいかわらず気分の浮き沈みはあるのだけど、日々のケアをすることでなんとかやれている。運がよかったこと、環境に恵まれたことには、しっかり感謝しなければならないですが……。

双極性障害の当事者である以上、気分の浮き沈みからは逃れられない。私の気分は、これからもプラスとマイナスのあいだを漂っていくのだろう。フラフラしているのは不安定で危なっかしいけど、まァ仕方ない。ある程度はあきらめて、許容するしかない。ただ、あまり遠くまで漂っていかれるのも困る。私自身と私の気分は不可分なので、気分だけ野放しにしておくことはできない。

べつに気分が漂っていていてもいい。「男はつらいよ」の寅さんだって、妹のさくらからなんと言われようとフーテン暮らしをやめない。私の気分も寅さんとおなじで、「落ち着きなさい」「じっとしていなさい」と言い聞かせたところで聞きはしない。ただ、あまり私から離れ過ぎないように、プラス1からマイナス1くらいの範囲で漂っていてもらいたいと願う。

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