20代を返せ訴訟

02.メンタルヘルスのこと
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20代、多くの人にとっては、人生でもっとも活力があって、もっとも美しい時期かもしれない。

みなさんにとっては、どうだろうか。おおむね美しい思い出で飾られているのではないだろうか。どうだ?

その点、私の20代はどうだっただろう。
私にとっての20代は、人生がボロボロになっていく過程、散々な時期だった。

返ってくるなら返してほしい、私の20代。
具体的な相手、新卒で入った会社に対して、「20代を返せ訴訟」を提起したい。
私にとっての失われた10年、そんな20代。

私が20歳になってから、30歳になるまでの、失われた10年を、ざっと俯瞰してみた。
多少長くなるが、10年かけて人の人生が壊れていく、壊されていくところを見てほしい。

以下は私にとっての「訴状」である。

学生時代(20~22歳)

4年制大学に進学したので、2年次の途中から、20代に突入した。
大学を卒業するまで、なにがあったわけではない、平凡な大学生活だった。
ただ、この時期だけは、私にとって「美しい20代」だった。おわり。

会社員時代・前半(22~25歳、双極性障害)

新卒で、地元の企業に入った。初任地は愛知県内の某所。1年目は、蝶よ花よの扱いで、すごく楽しかった。

2年目、外回りの営業職になった。はじめは少し戸惑ったが、半年くらいして「これが私の天職かもしれない」と思った。それくらい、多分向いていた。
上司から叱責されることは頻繁にあったが、基本的にはかわいがってもらえた。「お前はバカなんだから、頭より足を使え」よくそんなことを言われた。
お客さんにもよくしてもらえた。私が訪ねるとき、必ずお茶とケーキを用意してくれたお客さんのことが、思い出に残っている。

3年目、あいかわらず仕事は順調で、激務にヒィヒィ言いながらも、なんとかやっていたのだが、どうしようもないことが起こった。リーマンショックである。
取引先が一気にダメになって、手前の営業活動・ノルマ推進どころではなくなった。
顧客の破産後処理やら、売掛回収やら、そんな後ろ向きな仕事ばかりを、毎日朝から夜遅くまでやっていた。
悪いことは重なるもので、トラブルもいろいろ起きた。

この時期から、少しずつ不調を感じ始めた。はじめは眠れなくなって、その後で胸がふさぐような感じに襲われた。
入社前のストレスチェックは9/10点とかなり高く、また「私がうつ病なんかになるはずはない」とたかをくくっていたので、不調を感じてはいたが、見て見ぬふりをしていた。

そしたら、ある日、当時住んでいた会社の寮で倒れた。さすがに「コレもう限界かも」そう思った。病院に運ばれて、アレコレ検査したが、どこにも異常なしで、よくわからない。
最終的に、心療内科へ行かされて、「抑うつ状態」という診断をもらった。

「え? マジで?」という感じだったが、当時はもう逃げたい、一刻も早く楽になりたい、会社を辞めたいの一心だったので、もっともらしい理由ができて、少しホッとした。
診断書を持って、上司と面談した。私は、もう退職するつもりだったが、上司は「休職したらどうか」と言ってくれた。

まあたしかに、いきなり辞めるのは早計かもしれない。実家の両親にも相談したら「辞めないほうがいい」と言っていたし、上司の厚意に甘えようかな。
そう思って、休職の手続きをして、寮を引き払い、実家に戻った。

そのあと、診断が双極性障害(躁うつ病)に変わったり、療養生活が上手くいかなかったりしたが、なんとか復職にこぎつけた。

会社員時代・中盤(25~27歳、はじめての自殺未遂)

復職した。また、会社の寮に入った。大きな川のそばにある、古い建物で、夏には屋上から花火が見える。

仕事は、単調だった。人事からは「リハビリだと思って」とは言われていたが、あまりにも単調な仕事だった。

ただ、リハビリだと思って、真面目にやっていた。そうしているうちに1年経って、25歳から26歳になって、20代を折り返した。
「いつまで、こんなことを」そういう焦りが、つねにあった。毎月のように転属願を出して、前とおなじく営業職に戻る意思表示をしていたが、なかなか叶わなかった。

たしか日曜の夕方、寮の自室のベッドに腰掛けて、ボーッとしていた。西向きの窓から、夕日が燦燦(さんさん)と降り注いでいた。とてもキレイだった。
死のうと思った。手元にあった向精神薬を、ウイスキーで全部流し込んで、布団に潜り込んだ。きっとこのまま目を覚まさないだろう。そう思った。

その後のことは、よく覚えていないのだけど、病院に運ばれて、精神科の閉鎖病棟へ入院させられた。
自分がなにを言ったかは覚えていないが、医師からは「しばらく仕事のことは考えなくていい」と言われた。

閉鎖病棟には、1週間ほど入院した。その間は、会社を欠勤してしまった。
入院した日と、退院した日に、両親が病院まで来てくれた。
両親に「会社を辞めたい」という話をした。両親は「辞めないほうがいい」と答えて、私は「そうなのかな」と思った。

退院してすぐ会社へ行き、上司に欠勤のお詫びをした。欠勤の理由を聞かれたが、恥ずかしくて言えなかった。
上司から「今後はどうする?」と聞かれたので、「辞めたくありません」と答えた。医師からは、すぐに療養するよう指示されていたので、また休職の手続きをとった。

また体調が上下したり、療養が上手くいかなかったりしたが、なんと! また復職する。

会社員時代・終盤(27~29歳、パワハラ・失踪)

2度目の復職。こんどは、実家の近くの支社に配属された。営業職としての配属。希望通りの部署・仕事ではなかったが、ぜいたくは言えない。置かれた場所で咲きなさい。

仕事は充実していた。同僚とも上手くやっていたが、人事の都合で、近所の支社に異動となった。ここで、パワハラにあう。

パワハラをしていたのは、職場の先輩。たしか3歳くらいしか変わらなかった気がする。
飲み会の席で「俺は今までに6人辞めさせた、お前が7人目になる」みたいなことを言っていて、「ご冗談を」と思っていたら、マジだった。

毎日5時間前後、同僚が見ている前で詰められる。5時間は詰められているので、そのぶん仕事も進まなくなる。すると、そのことでまた詰められるという負のスパイラル。
週1くらいだったら、まだ耐えられたかもしれないが、これが毎日続くのだからたまらない。

パワハラをする人、人間の心理が、本当によくわかっているのだと思う。
私の先輩も、私がいちばん言われたくないことを、いちばん嫌な言葉で、的確に言ってきた。
暴力・威力もあった。ときどき嗚咽が抑えられなくなって、詰められている途中でトイレに駆け込み、吐いた。そうしたら、トイレまで追いかけられて、ドアを何度も蹴られた。

異動してから1ヶ月、そんな日が続き、また今日も詰められるのかと思い、全部イヤになって、仕事をバックレた。
行くあてもなかったが、もう途中で死ねばいいやと思っていた。
東日本をグルッと一周して、金がなくなり、死ぬ決心もつかず、宿無しやら居候を繰り返しながら、1ヶ月くらい失踪していた。

1ヶ月後、おめおめと帰宅し、両親に「絶対に会社を辞める」旨を伝え、またおめおめと会社に顔を出して、やっと、やっと退職の手続きができた。

退職後は、1年ほどひどいうつ状態におちいって、マトモな暮らしができなくなった。この1年間は、マジで食う・寝る・排泄くらいしかしていない。

フリーター時代(29~30歳、限界労働)

1年ほど寝込んで、心身もよくなってきたので、また働くことにした。とはいえ、地元はド田舎なので、就活といえばハロワくらいしかない。

「次はおもしろい仕事がしたいな!」と思ってハロワへ行ったら、たまたまおもしろいアルバイトを見つけた。
特殊な業種なので、詳細は省くが、仕事自体はとてもおもしろかったし、やりがいもあった。

ただ、いくつか問題があった。
まず、時給が低過ぎる。最低賃金より低い。
次に、拘束時間が長い。キツい仕事ではなかったが、毎日12時間前後拘束されて、自分の時間が作れない。
あと、休みがない。月29日出勤、残りの1日も真心サービス出勤みたいな感じで、とにかく休みがない。

そうこうしているうちに、私の20代が終わって、30歳になった。
30歳になってしばらくしてからやっと「私は、いい歳して、なんでこんなことを」という気持ちになって、人生を見直すことになる。

20代を返せ訴訟

ざっと俯瞰すると、私の20代は、主に新卒で入った会社に捧げられている。
会社で心身を壊し、それでも会社にしがみついて、最後は会社にフラれたような格好だろうか。
会社への操を守って死んだみたいで、カッコいいといえばカッコいいね。

私が20代に、あの会社で得たものはなにか。なにもない。
強いて言えば、Twitterやブログのネタになりそうな、つらい体験くらい。でも、そんな体験はほしくなかった。

もっとステキな20代を過ごしたかった。
仕事でもいい。恋愛でもいい。友人関係でもいい。
というか、健康であればそれだけでいい。
欲張りはしないから、人並みの20代を送りたかった。

いや、自己責任だ。私は自分の判断で、会社にしがみついた。最後まで私を解雇しなかった会社は、優しいね。
そういうことは理解しつつ、理不尽だとはわかりつつ、会社への怒りはいまだに捨てきれない。

率直に言えば、新卒の会社のことを訴えたい。私の20代を返してほしい。
「20代を返せ訴訟」を起こしたい。
長文で「訴状」を書いた。私の怨嗟(えんさ)の深さ、ご理解いただけると思う。

まあ、現実には難しいのだよな。
実際、退職前後に、パワハラの件について知人の弁護士に相談したのだが、「確たる証拠がないと難しい」と言われた。
そして証拠(私の出勤簿や業務日誌)は、私のいない間に、キレイサッパリ処分されていた。多分もう時効を過ぎているし。

もっと早く会社を退職していれば、会社にしがみつくことをやめていれば、また別の道があったのかもしれない。
決断をミスった、引き際を見誤ったばかりに、人生でいちばん美しい時期を、ムダに費消してしまった。本当にもったいないことをした。

30歳になって、上京してからは、なんのしがらみもなくなって、心から自分の人生を生きている感じがする。今は幸せだ。

ただ、やはりもう30歳を過ぎてしまった。
20代で「あったかもしれない」美しい経験の数々を手に入れることは、もうできない。

っていうか、本当にドブに捨てたような20代だった。20代で残ったものがなさすぎて、20代に心残りがありすぎる。
関係各位! どうしてくれるんだボケ!

返ってくるなら返してほしい、私の20代。

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