アラサー無職だけど青春18きっぷで旅に出る その5(倉敷散策)

06.旅行のこと
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その4からの続き>

さらば尾道
尾道のドミトリーFUJI HOSTELで夜を明かし、翌日は少し遅めの午前9時過ぎに出発しました。
文化の街尾道を発ち、JR山陽本線で工業都市倉敷へ向かいます。

・さようなら尾道

尾道から倉敷までは、普通列車でおよそ1時間と、すぐ近くです。
中国地方・瀬戸内周辺は素敵な街が多くていいですね。
この日は平日でしたが、通勤時間を過ぎているからか乗客もまばらでした。今日も自転車を担いで、電車の端っこに乗ります。

・こんにちは倉敷

倉敷市は、広島市、岡山市に次いで中国地方で三番目に多い人口を擁する都市です。

江戸幕府の天領時代から連綿と続く町並みは美観地区として保存されており、今日でも古い邸宅のなまこ壁や、明治期以降の洋風建築を目にすることができます。

また、大原孫三郎が興した大原財閥(旧大原邸・大原美術館など)や、加計勉が設立した加計学園グループ(倉敷芸術科学大学など)による芸術文化の保存・振興も行われているそうです。

昔から物流の拠点だったようで、「倉敷」という地名も、中近世に年貢の集積地だった「倉敷地」から来たとも、物資を貯蔵保管する「蔵屋敷」転じて「倉敷」となったとも言われています。

歴史や文化もさることながら、倉敷市は水島工業地帯を擁する、工業都市としての一面も持っています。
市内水島地区の干拓地には、新日石や旭化成、三菱化学や三菱自動車、JFEや住友重機械工業など、錚々たる会社の工場がズラリ。倉敷市だけで、県内工業生産高のおよそ50%を占めているとか。

そして、忘れてならないのが、先に述べた大原孫三郎が興した企業、倉敷紡績(クラボウ)です。
今回は、大原家とクラボウが果たした功績について、倉敷市内をブラつきながら追いかけていくことにしました。

大原家の城下町
倉敷に着き、まずはゲストハウスへチェックインします。
今日の宿はCuore Kurashikiです。
尾道のHUJI HOSTELと同じドミトリーだけど、こちらは美観地区にマッチする建物で、立派だしきれいですね(勿論HUJI HOSTELも趣があってキレイですよ!)

・Cuore Kurashiki

フロントに荷物を全部預けて散策へ。乗らない自転車は重いだけですからね……。

実は私、数年前にも一度倉敷に来たことがあります。その時夕食を摂ったお店のご主人が、こんなことを仰っていました。

「美観地区一体は、今でも全部大原さんの持ち物だよ」

倉敷美観地区といえば倉敷駅近の一等地で、面積もメチャクチャ広いんですが……。
長い歴史があり、国の指定を受けているような広大な土地を、一族で所有している……現代日本でそんなことありえるのでしょうか?

あの時は真偽を確かめることができなかったので、今回は法務局で土地建物の登記簿謄本を取得してでも真偽を確かめたいと思います。

法務局が閉まるにはまだ時間があるし、他に行きたいところはたくさんあります。
早速散策を開始します。

まずは大原美術館から。
名前を見ても分かるように、大原財閥創始者の大原孫三郎が設立した美術館です。
この美術館、とにかくスゴい。

まず、めちゃくちゃ広いです。広大な敷地の中には本館、分館、東洋・工芸館の3棟、少し離れたアイビースクエアの中に児島虎次郎記念館、合計4棟に分かれています。

広さ以上にこの美術館がスゴいところ、それは、収蔵展示品の充実度です。

この美術館を作った大原孫三郎という人物は、優れた実業家でありながら、大変な篤志家でもありました。
これは後で詳しく書きますが、倉敷紡績の事業を広げる傍ら、工業と、そして社会の変化にともなう様々な問題にも積極的に取り組み、地域福祉の充実にも努めていたそうです。孫三郎にとっては、この美術館も社会貢献の一環だったのかもしれませんね。

美術館創設者である大原孫三郎は、同郷で歳の近い洋画家・児島虎次郎を目にかけて、援助を行っていました。
児島は倉敷よりやや北に位置する高梁の生まれ。
幼少期に教師から絵の才能を見出され、上京し東京美術学校(現在の東京芸術大学)に入学、わずか2年という異例の早さで卒業した俊英です。
豊かに表現される光と影が特徴ですね。

大原家の知遇を得た児島は、孫三郎に対して「実物の西洋画を日本にもたらすことの必要性」を説きました。
明治維新後に海外との交流が進み、日本にも洋画が広まりだしていたとは言え、当時は渡欧の費用が大変に高く、多くの画家たちはヨーロッパへ渡ることは叶わない時代です。
それなら日本で本物の西洋画を見られるようにしようではないか、というわけですね。

これに賛同した大原は、児島に対してヨーロッパ各地で絵を学ぶの傍ら、美術品を収集するように命じます。
大原の命と資金援助を受けた児島は、画学生と絵のバイヤーの2足のわらじを履き、遊学先を飛び回りって著名な画家や画商達のもとを訪れ、その作品を買い集めました。

もちろん、金にモノを言わせて買い漁るような下品な真似をしていたわけではありません。
洋画家としても一流である児島が、自らが心惹かれた作品を吟味し、画家や画家本人と掛けあって購入していきます。

絵画の購入は基本的に児島任せでしたが、パリのギャラリーでたまたまエル・グレコの『受胎告知』を見つけた時だけは、そのあまりの高額さのために、大原へ絵の写真を送り「これを買ってもいいでしょうか?」とお伺いを立てたと言われます。
ここで写真を受け取る大原も大企業の御曹司、当時のエスタブリッシュメントですから、高い教養を備えていました。これを好機と思い、迷わず購入にゴーサインを出します。
(余談ですが、東京専門学校(後の早稲田大学)時代の大原は、放蕩のあまり現在の1億円相当の借金をこさえ、父孝四郎から大目玉を食らい帰郷させられています。ダメ息子ですね。)

大原美術館のコレクションの中には、『受胎告知』以外にも、当時でも大変高価な美術品が多く含まれています。これだけ集めるのには、さぞかし多額のお金が必要だったことでしょう。
日本に西洋美術を広めようとした児島と大原の熱意は素晴らしいものがあります。
そうして、一流の美術品が倉敷の街に集まることになりました。

大原美術館のコレクション数は、なんと総計約11,000点。
著名な作品では、エル・グレコ『受胎告知』やモネ『睡蓮』、ゴーギャン『かぐわしき大地』やルノワール『泉による女』、他にもロートレックやモディリアーニ、マティスやルオー、ピカソやキリコなど、世界の名作があふれんばかりに収められています。
洋画のほかにも、日本画や工芸品、アジア・ユーラシアの歴史的遺物など、コレクションの幅はとどまるところを知りません。

『受胎告知』が日本の地方の美術館に飾られていることは、今日では奇跡と言われています。
聖母マリアの懐妊をモチーフにした『受胎告知』を見るために海外から倉敷を訪れる人も多いらしく、「受胎告知の絵、そしてこの美術館の存在が、倉敷を戦時の空襲から守った」なんて言われることもあるそうです。
児島、そして大原の慧眼には平伏するしかありません。違いの分かる男達です。

美術館の話はこのへんにして、感動の鑑賞タイムと言いたいところですが、館内収蔵品はもちろん撮影禁止です。お世辞でもなんでもなく一見の価値はあるから、ぜひ倉敷へ行き、自分の目で見てください。

・大原美術館外観

・薬師寺主計が設計した本館入り口

・入り口隣にあるロダン銅像のレプリカ

・中庭には睡蓮。なんとモネの家から株分けしたものだとか!

美観地区は、大原美術館だけじゃないですよ。
古い街並みが、建造物から道路水道に至るまで、そっくりそのまま残されています。

・右奥が旧大原邸です
黒い瓦に白壁の屋敷が多い中、緑がかった赤の瓦に赤い壁の建物が目を惹きます。

・大山日ノ丸証券(鳥取)倉敷支店のメッセージボード
証券会社なのに、古い街並みに溶け込んでいますね。

・前述の加計学園が運営する加計美術館
倉敷芸術科学大学(略してクラゲイ)の学生・OBの作品が展示販売されています。

・美観地区内にはかって運河だった倉敷川が流れており、水際には柳並木と露天、川面には遊覧船も。

・倉敷川と岡山県道22号線(通称「天城海道」)の交点、美観地区の内と外を隔てる水門

時には噂による外は語られぬ真実
驚くことに、大原美術館を出た頃には既に13時を回っていました。
一応時間には気を遣っていたつもりだったのですが……しかもまだ見足りない……恐るべし大原美術館。
美術品に後ろ髪を引かれながら、しかしお腹も空いたので昼食へ出ます。
私は、海沿いの街へ旅行へ行くと、必ずランチをやっているお寿司屋さんを探します。
地元のお魚を食べるなら寿司屋が一番手軽ですし、ランチなら値段もソコソコで済みますしね。
駅の北側にある、「ほそ川」という料理屋さんへ。魚屋さんがやってるお店で、新鮮さには評判があるとか。

・店舗外観

・ランチのお寿司
評判通り新鮮でおいしい! しかもリーズナブル!

・瀬戸内倉敷の郷土料理、ベイカの煮物
「今ちょうど炊けたので」ということで一鉢オマケで頂きました。おいしかったです!

気の良いご夫婦で、「どこから来たの?」から始まって話が弾みます。
盛り上がってきたところで、アレを聞いてみましょう。

私「美観地区のへんって、今でも大原さんの所有地なんですか」
ご主人「うん、そうだよ」

この30分後くらいに、別の場所で他3人からも同じ話を聞きました。
もう、法務局行く必要は無いですね。

なんでも、駅周辺から美観地区の辺り、かなり広い範囲を、今でも大原家が管理しているらしいです。美観地区だけでも20ヘクタール以上、駅周辺も入れるとその数倍はありそうなんですが……。

大原家のおかげで美しい街並みが保存されている一方、再開発がややこしいという面もあるとかないとか。
駅北に三井のアウトレットできたんですし、駅南の商店街や美観地区の街並みは今のままでも全然いいと思うんですが……。

うーん、やっぱり与太話臭いし、しっかり確認したい気もしますが……ただ、地方の大資本が長年に
わたって街と文化を守ってるっていうのは、格好いいしロマンがあっていいですよね。
というわけで、この件は噂のまま、これにて終了とします。

さて、お腹もいっぱいになったので、美観地区へカムバックします。

さっき長々と大原美術館の話をしたが、実は午前中には本館と東洋・工芸館しか見ていません。まだ分館と児島虎次郎記念館が残っているのです。

さらに、美観地区内には他にも多くの展示館が存在します。全部を堪能しようとしたら、1日ではとても足りません。やはり恐るべし倉敷。
書くのも疲れてきたので、駆け足でいきます。

・美観地区内で見つけたオシャレスポット
カフェとかジーンズ・ショップとかが入ってました。

・↑のすぐそば、倉敷物語館の広場

・大原美術館分館。本館とくらべてモダンな作りですね。

・分館に隣接する庭園「新渓園」
東屋で一服。奥にわずかに見える茶室「遊心亭」では、今でもお茶会が開かれているらしいです。

・倉敷民藝館
倉敷では、昭和40年頃から「倉敷ガラス」というガラス工芸がさかんになったそうです。
民藝館には、古今東西のガラス工芸品が展示してあります。人類の歴史とともに発達してきたガラスが多数展示してあります。

ここから先は、倉敷アイビースクエアに入ります。アイビースクエアは、ホテルや美術館などを含む複合施設です。

・もとは倉敷紡績の工場でした。蔦がまとわりつく赤レンガの壁がCoolですね。

・アイビースクエアの周囲には、趣きのある店の並びが。日本酒なども売っていました。

・アイビースクエア内「オルゴールミュゼ メタセコイヤ」
オルゴールの博物館らしいですが、残念ながら休館でした……。

・児島虎次郎記念館はこんなところにありました

あと、夢中になってて写真撮るのを忘れてしまったのですが、倉紡記念館には絶対に行ってほしいです!
日本の産業・紡績がどのように発達してきたか、当時の工場の様子、大原孫三郎の功績がとてもよく分かります!

旧い繊維メーカーで今も生き残ってるとこって、本業であった繊維産業にこだわらず、結構事業を多角化してる会社が多いですよね。特に化学分野に進出する会社が多いように思いますが、倉敷紡績はまさにその好例です。
繊維産業が斜陽を迎える中、経営者たちがどのように舵をとったか、どのような技術が会社を支えてきたか、そしてこれからどう展開していくかが、これまた一目瞭然で分かります!

記念館の中には、新旧の紡績機械や当時の工場・社員住宅のミニチュア、倉敷紡績の経営史、化繊の展示などもあって、きっと誰にもご満足いただけるはずです。本当にオススメします!

疲労困憊
朝から一生懸命歩きづめでしたが、倉敷は広く深かった……。
微妙な敗北感を胸に、夕暮れの中をトボトボ歩いてゲストハウスへ戻ります。
初日は自転車、2日目も自転車、3日目は歩きっぱなし、そして今日も歩きっぱなしで、そろそろ身体がクタクタです……もう若くないですし……。

・吹き抜けがあって、マンションみたい

・ガラス張りの下はフロントとレストラン・バー
シャレオツ過ぎて鼻血が出ますね。

・今宵のお部屋
よくわからないラグとかかけてあってシャレオツですが、6人部屋に私一人でちょっと寂しかったです……。

シャワーを浴び、近くの小料理屋で夕食。美味しいお店だったけど、私にはちょっと早かったかな。いい大人なので詳しくは書きませんが、察してください。

気分がモヤモヤしてたので、お宿のバーで飲み直しました。
Cuore Kurashikiに地下1階はレストランになっていて、宿泊者以外でも夕食を摂ったりお酒を飲んだりできます。
お酒も料理も美味しいし、なにより店員さんが可愛らしかったです。

・魚のフリッターとカクテル

キャッキャしながらダラダラ飲んでいたら、日付が変わってしまっていました……疲労とお酒で身体はガタガタですが、明日は朝イチで大阪へ向かいます……。

その6へ続く>

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